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おおよそあらゆる犯罪者の中で最も倒錯した人間だろうと思われる彼、アルバート・フィッシュは、死刑判決後に面会したワーザム博士に対してこう言っている。

「私はどんなときでも、子供を憎く思ったことなんてただの一度もないんですよ」

※折りたたんだ先の閲覧は自己責任で。






アルバート・ハミルトン・フィッシュ(Albert Hamilton Fish)
ワシントンD.C. 1870.3.19 - 1936.1.16
別名:月夜の狂人 ウィステリアの人狼 変態のデパート ブルックリンの吸血鬼など

殺人犯が逮捕されると、近隣の住民はだいたいの場合皆口をそろえて「あんな優しそうな人が」「おとなしそうな人が」と言う。それは何も日本に限った話ではなく、遠く海をはさんだアメリカでもそうであった。
400人の子供を殺してその肉を食べたとうそぶいたアルバート・フィッシュは、その穏やかな容貌と上品な物腰で、彼の鑑定医をして「彼にならば真っ先に子供を預けたくなる」と言わしめたのだ。


世界大恐慌の前年、職を探していたバッド家を一人の老紳士が訪れた。
上品で身なりもよく、白い口ひげと穏やかで知性的な光を称えた目を持つ老人は、ロングアイランドのフラミングデールで農場を営んでいるフランク・ハワードと名乗った。
さっそく条件を提示したハワード。彼が家族に提示した週14ドルという報酬は当時にしてみれば破格中の破格であり、バッド家の面々はなんの疑いもなく喜び、老紳士を丁重に招き入れたのである。
老紳士は言葉巧みに家族の信頼を獲得し、その日は他の求職者達のところにもいってから決めますと告げ、バッド家を後にした。

やがてハワードから連絡が入る。後日、彼は上等なカッテージチーズを持参して家族の前に現れた。
ハワードはバッド家の18歳になる息子エドワードを農場で働かせることを確約し、また10歳の娘グレースを、自分の妹が今日パーティを行うのだが、それに連れて行ってあげようと言った。
ハワードを信頼しきっていた家族は彼の言葉に快くうなずき、グレースに精一杯のおしゃれをさせた。両親が10年間手塩にかけて育ててきた愛娘は、真っ白なドレスや青いリボンのついた帽子を身につけて、鏡の前ではしゃぎながら幾度となくポーズをとっていた。
やがて準備を終えたグレースは、ハワードに手を引かれてパーティ会場へと向かって行った。

そして二度と彼女は一家の元には戻らなかった。


グレースが穏やかな風貌の、けれどその下に地獄の使者の顔を押し隠した老紳士と共に消えてから、6年後の1934年11月11日。
バッド家に、デービス船長の友人と言う名の差出人から一通の手紙が届く。

――親愛なるバッド家の皆様へ、突然の手紙をお許しください。

こんな書き出しで始まる手紙には、「デービス船長」がどのようにして子供の肉を調理し、食べたかが図解入りで描かれており、さらにその先にはこのように書かれていた。

以前お宅の昼食に招かれたとき、私の膝に乗ってきたお宅のお嬢さんの笑顔を見て、「この子を食べよう」と決めたのです
(中略)
お嬢さんのやわらかくて甘いお尻の肉は、オーブンでとろとろと焼き上げると最高の味がすることをご存知でしたでしょうか。また、お嬢さんの血はブリキ缶にあけ、全て飲ませていただきました。
ですが、ご安心ください。私は彼女を犯しませんでした。彼女は処女のまま、天に召されたのです。


バッド婦人は悲鳴を上げ、その場に昏倒した。

グレース・バッドの捜索に当たっていたウィル・キング刑事は手紙を受け取ると、迷宮入りかと思われていた事件を解決するための糸口として、その手紙に全てをかけた。
やがてキング刑事の執念は実を結び、ついにハワードの居所を突き止めることに成功する。
ハワード…いや、アルバート・フィッシュの下宿先で老人と顔を合わせたキング刑事は後にこう語っている。
「無害と言う言葉が、服を着てそこに座っているようだった」



アルバート・フィッシュはワシントンD.C.で生まれ、父親の死と共に5歳のときに施設に入れられた。
彼が収容された先の施設では日常的に激しい体罰が加えられており、フィッシュは自分が鞭で打たれるか、もしくは他人が鞭で激しく打ち据えられる場面を目撃しては快感を覚えるようになっていく。彼はこの施設で唯一、鞭打ちを楽しみにする子供であった。

しかしこうした影の部分はうまい具合に秘され、表向きは無害な一人の男としてアメリカが米西戦争に勝利した歳に結婚する。結婚は一応成功をみせ、三人の子供をもうける(ただし、裏側では浮浪児にわいせつ行為を働いていた)。
ところが安定して続くかと思われた結婚生活も、妻の浮気で崩壊する。
近所に住む精神薄弱者の男との浮気が発覚した妻に対し、フィッシュは「起こってしまったことはしかたがない、水に流そう。だがそれには二人が別れることが条件だ」と至極まっとうなことを言っている。
一旦は終わったかに見えた浮気騒動だったが、なんとフィッシュの妻は浮気相手を手放したくないあまり自宅の屋根裏で養い、情事にに耽っていた
怒り狂ったフィッシュは二人をたたき出す。この直後から、夫人の姿は見えなくなった。

元々安定していたといいがたいフィッシュの精神は、これを境に崩壊の度合いを急速に強めていく。もはや彼はその内側に眠る屈折した精神を隠そうとはしなくなった。
フィッシュは子供たちを連れて、後の惨劇の舞台となるウィステリアのコテージに移り住む。
サドとマゾの両方の性癖(食糞なども行っていた様子)を持っていたフィッシュは、ことあるごとに鋲のついた板を子供たちやその友人に渡しては、自身の尻を血が出るまで叩かせた。
また、あるときはオイルを染み込ませた布を肛門に入れて火をつけ、肉が焼ける痛みを楽しんだ。
他にも彼のことを記した本にはだいたいレントゲン写真が載せられているが、陰嚢や肛門、背骨の内側などに何本もの鋭い針を埋め込んでいる。


ところで、彼は「ハノーバーの食人鬼」ことフリッツ・ハールマンにひどく興味を持っていた。
ハールマンが自前の鋭い犬歯で犠牲者の喉を裂き解体し、人肉を食材として売っていたこと、そしてハールマンの処刑後彼の遺体は民衆の手に渡り、振り回され頭蓋をかちわられた話がフィッシュにとってどれほどに魅力的であるか、語ってみせた。


フィッシュは捕らえた少年を強姦した後、自分に対してするのと同じ拷問で殺すことが多かった。また、去勢願望も強かったという。

加速度的に殺人を繰り返していく中、フィッシュが手紙を送ってから三週間後の1934年12月13日、グレース・バッドの殺人容疑で老紳士は逮捕された。
犯罪が行われた約25年の間にフィッシュが一体どれだけの子供を殺したのかは本人ですら正確な数字は覚えておらず、警察は立件できた15件で勝負することを決める(法廷での確定数は100件)。
しかそこれだけの間殺人を繰り返していたにもかかわらず、25年間の間にフィッシュは軽犯罪以外の罪に問われることはなかった。彼の風貌も物腰も、全てが人々に「こんな紳士が犯罪を犯すわけがない」と信じ込ませるのに十分だったのである。


フィッシュは彼の担当となったワーザム博士のいうとおり確かに精神に異常をきたしていたかもしれないが、目を覆いたくなるような事件の内容は「精神異常」の免罪符をもってしても彼に死刑の判決をもたらした。
フィッシュが電気椅子送りの判決を下されたとき、ワーザム博士はこう言っている。

――ここにいる男は治療も矯正もできず、“罰する”こともできません。
…なぜなら、彼の歪んだ精神は最後に味わう究極の苦痛と快楽として、電気椅子を待ち望んでいるのです。



1936年1月16日、死刑が執行される。
電気椅子を「最後に味わう最高のスリル」と言っていたフィッシュの最期の言葉は、「何故私はここにいるのだろう」だった。
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無題
食人事件に興味津々なので、近頃の渦さんの記事を心待ちにしてました。
あまり深くはコメントしませんが(笑)、異常な人間って面白いです。

P.S ソニー一族の話は、書籍よりもネットのが広く出回ってるような気がします・・
米一 2007/08/27(Mon)22:55:27 編集
Re:無題
要所要所をまとめるのってすっごい大変ですね!!!
もうちょっと変態変態したところがたくさんある人物なのですが、書いていると気が滅入るので適当に端折りました。
こういう記事かいてるとひかれそうでドキドキです。

ソニー一族はあまり有名でないというか、さしてとりあげるほどのものでもない…みたいなイメージで書籍関連は見かけないのでぐーぐる先生の力を借りようとおもいます。てか調べたらソニーじゃなくてソーニーだった ( ^ω^)
【2007/08/28 01:35】
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